強引に消化・溶かすことの難しさ
 体験は一度溶かしてしまわなければ形になりません。溶かすというのは長い時間がかかるものです。しかし、ノンフィクションの場合は何年も「熟すのを待つ」ことなどできません。そのため、強引に消化しなければならないのです。そこに、ノンフィクションを書く難しさというのがあると思います。



ノンフィクションを書くごとに数百万円の赤字?
 本を書くと儲かるでしょと言われます。とんでもありません。一作書くごとに、数百万の赤字をだしています。もちろん、ノンフィクションの種類にもよるでしょうが、私がやっているものはそうならざるをえない構造があるのです。結構誤解されている点でもあります。



世界を回る上での危険信号
 取材するには、いろんな危険があります。ただ、何にも考えずにぶらぶらしているわけではありません。見知らぬ土地を歩くときは、危険に対するアンテナのようなものを立てています。そのアンテナは色んな失敗の中で自然に身に付くものだと思います。



私なりの方法論
 書くためには、自分なりの方法論というのが必要になってくると思います。その方法論が作者の個性であり、魅力でもあるはずです。私も私なりの方法論というものをもっています。それがここで説明する現実の受け止め方であり、表現の仕方です。



旅立つ前に頭をリセットする
 知識と現実というのは、異なるものだと思います。旅の前に知識をつみこむと、固定観念でしかものを見られなくなってしまいます。かといって、情報がまったくない中で取材をすることなど不可能です。私はそのために頭のリセットという方法をとっています。



ノンフィクションのスタンス
 現実を前にしたり、いざ筆をとって何かを書こうとしたとき、自分なりのスタンスというものをもたなければならないと考えます。対象へのまなざし、自分の描き方、テーマに対する考え方などです。このスタンスによってテーマや自分や対象の捉え方が大きく変わってくると思います。



距離感
 物事を描くときに、どのレンズで書くかという問題があります。わかりやすくいえば、対象やテーマをミクロで見るか、マクロで見るかということです。ノンフィクションの場合、そのレンズが「対象への距離感」となるのだと思います。私はこの距離感を大切にしています。



出会いの切っ掛け
 対象者に出会うのは、ひとつの「運」です。99%は努力ですが、1%の運がなければ絶対に出会うことができない。あるいは出会っても「ノンフィクション」を聞き出すことができません。では、出会いのためにどのようなことをしなければならないのでしょうか。



頭でなく、腹で書くがゆえの異常心理
 文章には、二つ種類があります。頭で書く文章と、腹で書く文章です。同じ「執筆」であっても、まったく異なるものです。では、腹で書くとはどういうことなのか。そして、それによって起こる異常な状態とは何なのか。それについてご説明いたします。



体験を溶かして現実を描く
 体験というのは、そのままでは形になりません。一度それを消化して溶かし、再形成していくという作業が必要になります。しかし、溶かしたからといって、それがフィクションになるということはありません。むしろ、そこに現実の魅力が残ると考えます。



テーマを孕む
 文章を書くということは、テーマを孕むということです。テーマそのものを妊娠してしまうのです。だからこそ、「書く」のではなく、「書かざるを得ない」ということになるのです。たぶん、無謀なことをしてまで物事を取材し、書く動機はそこにあるのだと思います。



エッセー
 エッセーという分野があります。私が大好きなジャンルです。このエッセー、ノンフィクションを書くのとはまったく違います。もちろん、内容はノンフィクションというジャンルになるのかもしれませんが、書き方が異なるのです。その違いが、僕にとって魅力なんですが。








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