海外を回ってなにかを書くと、「取材大変でしょー」といわれます。 しかし、僕は現地で何かをすることほど簡単なことはないと思っています。 たしかに危険かもしれないし、大変なこともありますが、それを「つらい」とは思いません。
たぶん、どんな仕事でも一番楽しい時と、一番つらい時があると思います。 以前、ある有名な劇作家が「創作ノートをつくっている時が一番楽しく、実際に原稿を書いている時が一番つらい」といっていました。 僕はフィクションをつくる時はまったくそれと同じなのですが、逆にノンフィクションをつくる時はノート作りの段階が一番つらいですね。
前回ちょっと書いたように、僕の場合は以下のような手順を踏みます。
@テーマを決める。 A現地で何かを経験する。 B経験から小テーマとラストシーンを考案。 C経験を一度ドロドロに溶かす。 D溶かしたものを物語にしてみる。 Eそれを原稿として書く。
僕が一番つらいといったのは、このCとDの部分です。
通常、体験というのは何年も経って熟成させて、ようやく客観的に見ることができ、それの意義やテーマを見つけ出すものです。
具体的にいえば、恋人の女性が見ず知らずの男とドライブしていて事故で死んだとします。その時は怒りとか悲しみが入り乱れている状態で、自分の人生にとって彼女はどういう存在だったか、なんてことを冷静に考えることはできませんよね。そんなことができるのは、おそらく五年とか十年の歳月が経からのことです。
しかし、ノンフィクションの場合は、五年も十年も熟成させる余裕がありません。 いってしまえば、恋人が事故で死んだ直後に、その時の感情を無理やり殺して、強引にそれを過去のものとして定め、その存在意義を見出していかなければならないのです。
たとえば、恋人が浮気していたことを認めて、その浮気現場をキレイなセックスとして描写しなければなりません。 あるいは、浮気された自分のみじめさを浮き彫りにしなければなりません。 普通は怒り狂って泣き叫んでいる時に、無理やり自分を押さえつけて、そうしたことを実行しなければないのです。
こう書くと容易なことかもしれませんが、実に困難な作業なんです。 殺人事件の被害者の遺族が、テレビにでてきて冷静に「私は死刑廃止論者だから加害者を許してやって欲しい」なんていうことはありませんよね。それは、それほど事件の直後に物事を客観視することが難しいということだと思います。 ちなみに、かの開高健 もどこかで経験を「ねかせる時間」が必要だというようなことを書いていましたね。たぶん、体験を物語にする時はだれでもそこに困難を見出すのかもしれません。
ところで、優れた本を読んでいて、これが本当にスゴイとため息をつきたくなる描写に出くわすことがあります。それは、ユーモアを入れることなんです。
たとえCDの部分をうまくやったとしても、なかなかそこにユーモアを入れることができない。入れたくても、金縛りにあったように入れられないものなのです。 恋人が浮気して事故死した直後に、「彼女の遺留品についていた毛は浮気相手の陰毛かも」なんてブラックジョークを書けるはずがないですよね。しかし、それをやらなければ物語に深みがでてこない。
そういう意味では、ユーモアっていうのは最後の難関なんでしょうねー。 |
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