ノンフィクションの方法 世界を回る上での危険信号


外国で取材するのって大変でしょと言われます。
たぶん、この「大変」には<危険>の意味合いが込められていると思います。

僕は人を<危険>だと考えたことはあまりありません。
マフィアだって、テロリストだって、乞食だって、女衒だって、1対1で話をして仲良くなれば、まったく普通の人です。
逆に言えば、1対1で対等な関係を築けなかった時、つまり相手を見下したり、先入観で接したりする時に<危険>な状態になるのだと思います。

これは日本だってまったく同じことですよね。
風呂やでヤクザと一緒に湯船につかって「いい湯っすねー」といえば、「おう、いい湯だな」となります。
しかし偉そうにカメラを向けて、マイクを差し出して「抗争についてどう思いますか」なんてインタビューしたら、ヤクザは「うるせぃ、バカ野郎」となります。
外国だって、これとまったく同じものなんです。

ただ、だからといってボケーっとしてなにかを調べているわけではありません。
初めて行く場所では、かならずアンテナを張っています。僕の場合、そのアンテナはいくつかあるのですが、代表的なものを一つご紹介しましょう。

たとえば、現地で何かを調べようとしたら通訳やらガイドが必要になります。
しかし、僕はライセンスをもった通訳やガイドを雇いません。彼らがエリートだからです。そんな人に乞食の気持ちや娼婦の気持ちはわかりません。先入観を埋め込まれて終わるのがいいところでしょう。
なので、僕は根底の人を調べる時は根底の人をガイドとして雇います。乞食を取材するなら乞食をガイドにするし、娼婦を調べるなら娼婦や人買いをガイドにするのです。
これは日本だって同じですよね。英語ペラペラのガイドに乞食の取材をしたいといっても彼らは何も知りません。しかし乞食を雇えばあらゆることを教えてくれるでしょうし、本当に対等な視点で近づくことができるでしょう。

では、どうやって<危険>を察知するのか。
それが先ほどいったアンテナなのですが、僕の判断基準のひとつに、周囲の反応というのがあります。
たとえば乞食ガイドを雇ったとします。しかし、その乞食ガイドが本当にいい奴かはわからない。
その時彼と一緒に彼の家の近くを歩いてみるんです。もしいい奴なら周囲の人たちが話しかけてきます。アジアは人と人との距離が近く、基本的には「みんな友達」的な空気があるのです。だからその人が普通の人ならみんなが話し掛けてきますが、そうでないと誰も話しかけてきません。
こういう「周囲の空気」からその人の信用できるできないを判断するのです。

場所が<危険>かどうかの判断も同じです。
「人が話しかけてくる」「子供が外で遊んでいる」「微笑み返す」「笑いながらからかってくる」「冗談をいう」……こうした反応がその場所にあるかどうかが目安になってくるのです。
どこでも見れる光景じゃん、と思うかもしれませんが、本当に危険な所だと上記のような反応が一切ないのです。逆にいえば、みんなが銃をもっているような所でも上記のような反応があれば<危険>はないといえるのです。

たぶん、外国で何かやっている人って言うのはいろんな経験から上記のような自分なりの「アンテナ」をもっているはずです。
そのアンテナによって、これ以上進むのか進まないのかというのを直感的に考えて行動しているのです。
ただし、これは教えてもらって身につくものではありません。いろんな失敗を通してスポーツにおける反射神経のように身につけていくものだと思います。

そういう意味では、失敗こそ宝なのですが、一度の失敗がとんでもない事件を生むことだってありますから、まぁ、難しいですよネェ。





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